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シーザーも使つた「床暖房」

「床暖房」を最初に考えだしたのは、セルギウス・オラタというローマ人で、紀元前80年頃のことです。

彼は、ナポリで火山の他熱を利用する「むし風呂」からヒントを得てこれをつくったといわれます。

作り方は、普通の床の上に、直径10センチから20センチの円柱型の煉瓦、あるいは四角い煉長を積んで80センチから1メートルぐらい上にもう一段の床をつくって二重床にし、炉で火を燃やして暖めた空気を、その間に流したと言われます。

二階には、壁の間に暖気が上るようにしてありました。部屋を暖めるのにはかなりの時間がかかりましたが、一度暖まるとなかなか冷えない上、何よりも「快適」なので、上流の金持や高官達の間で評判になりました。セルギウス・オラタは、なかなが商才にたけていたらしく、古い家屋を安く買い、こうした「床暖房」 (ラテン語でヒュポカウシスといいます。)を設備しては高く売るということを繰り返し巨万の富を築いたといわれます。ローマでは、温水の床暖房もその前後に考案され、温水の導管を床下などに理めて、お湯を流しましたが、この温水式とヒュポカウシスとを併用した建物も遺跡として残っています。シーザーが暗殺されたのは、紀元前44年3月15曰ですから、シーザーは、当代隨-の権力者として、世界で最も快適な「床暖房」設備のある邸宅に住んでいたという想像をしても、あながち間違いではなさそうです。

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